ハンス・ベルメール:日本への紹介と影響

− 球体関節人形を中心に −


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[覚書5]

人形制作の社会的文化的背景

 ベルメールが人形制作を開始する直接の契機になった出来事として、両親の引越しの際に母親が送ってよこした子供時代のおもちゃ箱から強烈な印象を受けたことや、オッフェンバックのオペラ「ホフマン物語」に登場する自動人形オリンピア(オランピア)からインスピレーションを得たことは良く知られています。しかし、最初の人形("First Doll")の写真に見られる少女殺害のイメージなど、当時の社会事件や文化状況を背景として考えることによって初めて深く理解できるような事柄も少なくないように思われます。ここでは、ベルメールが語らなかった、あるいは意識しなかった当時の社会的文化的背景を明らかにする作業の第一歩として、彼の思春期から人形制作までの期間に相当する20年間(1916-1935)の事件や文化状況を調査してみました。なお、文化状況としては、主として「人形」(蝋人形、マネキン人形、自動人形、人造人間)をキーワードとして調査した結果を纏めています。

年譜資料

出来事文化(映画・文学ほか)ベルメールの動向
1916   ■独映画「ホフマン物語」(Hoffmanns Erzählungen)。監督はリヒャルト・オズヴァルト(Richard Oswald)。  
1917   ■米映画「機械人形」(A Clever Dummy)。監督はフェリス・ハートマンほか(Ferris Hartman, et al.)。機械人形にそっくりの主人公が人形になりすまして劇場に出演し騒動を起こす。  
1918

■オスカー・ココシュカ(Oskar Kokoschka)、ミュンヘンの人形師Hermine Moosにかつての恋人アルマ・マーラーに似せた等身大人形の制作を依頼。

◇ドイツ革命。

   
1919

◇ベルサイユ条約調印。
◇ワイマール憲法成立。

■フロイト『不気味なもの』(Das Unheimliche)発表。E.T.A.ホフマンの小説『砂男』の分析。

■独映画「花嫁人形」(Die Puppe)。監督はエルンスト・ルビッチ(Ernst Lubitsch)。内気で女性を恐れる青年が、生身の女性の代わりに人形と結婚する事になる。人形師は自分の娘をモデルに人形を作ったが誤って破損してしまったため、娘が人形の身代わりとなるが...。  
1920  

■独映画「巨人ゴーレム」(Der Golem, wie er in die Welt kam)。パウル・ヴェゲナー、カール・ボエゼ(Carl Boese, Paul Wegener)監督作品。

■戯曲『ロボット(R.U.R.)』(R.U.R. (Rossum's Universal Robots))。作者は、チェコのカレル・チャペック(Karel Capek)。初めて「ロボット」という言葉を用いた。

 
1921 ◇ヒットラー、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)の党首となる。   ■ギムナジウムの卒業試験に合格。その後、製鋼所、次いで炭坑に働きに出される。そこでの経験をきっかけに、社会主義思想に接近する。
1922 ■オスカー・ココシュカ、アルマ人形を破壊。    
1923 ◇ヒットラーの「ミュンヘン一揆」失敗。   ■ベルリン工科大学に入学。
1924

■アンドレ・ブルトン(André Breton)、『シュルレアリスム宣言』出版。

◇ヒットラー出獄。

■独映画「裏街の怪老窟」(Das Wachsfigurenkabinett)。監督はパウル・レーニ(Paul Reni)。蝋人形館のオーナーに、展示された蝋人形のモデル(バグダッドのカリフ、イワン雷帝、切り裂きジャック)の物語を書くよう依頼された詩人の創作や夢として語られるオムニバス形式の映画。 ■ベルリン・ダダの画家ゲオルグ・グロッス(ジョージ・グロス)らと交際を始め大学を中退。グロッスの紹介で、ダダイストのヴィーラント・ヘルツフェルデが設立したMalik出版社の印刷工となる。同時に本の表紙絵や挿絵を手掛ける。
1925   ■独映画「芸術と手術―ある芸術家の苦難の道 Orlacs Hände」(Die Unheimlichen Hände des Doktor Orlac)。ロベルト・ウイーネ(Robert Wiene)監督作品。原作はモリス・ルナール(Maurice Renard)の「オルロックの手」(Les main's d'Orlac)(1920)。

■1924年末から1925年にかけて、3ヶ月間パリに滞在する。そこでデ・キリコに面会。また、パスキンやスーラの作品に強い興味を持つ。

■人形作家ロッテ・プリッツェルと知り合う。彼女は、画家のオスカー・ココシュカから等身大の人形の制作を依頼されたことがあった(1918年)。最終的に彼女はこのプロジェクトを断念したが、ベルメールはこの話を魅入られたように聴いていたという。

1926 ■アメリカのヒューゴー・ガーンズバック(Hugo Gernsback)が世界初のSF専門誌"Amazing Stories"を創刊。   ■生計を立てるため、ベルリン郊外のカールスホルストにデザイン事務所を開く。彼の才能は早くから認められ、事務所の経営は順調だったが、彼の芸術家としての表現欲が満たされることはなく、折からのナチズムの隆盛の中で鬱々とした日々を過ごしていた。
1927 ■アメリカのウエスチングハウス社が電話による遠隔制御装置「テレボックス」を発表。これが電動ロボットの第1号として報道された。 ■独映画「メトロポリス」(Metropolis)公開。フリッツ・ラング(Fritz Lang)監督作品。人造人間の偽マリアが登場する。  
1928

■リチャーズ、椅子から立ち上がってみせる演説ロボット「エリック」をロンドンの機械博覧会で公開。

■西村真琴、日本初のロボット「学天則」を公開。

■ロボット漫画第1号、田河水泡「人造人間」。 ■当時22歳のマルガレーテ・シュネルと知り合い結婚。
1929

◇10月、ニューヨーク株式市場の株の大暴落。世界恐慌始まる。

◇「デュッセルドルフの殺人鬼(吸血鬼)」ペーター・キュルテン(Peter Kürten)による連続殺人事件。

   
1930 ◇ペーター・キュルテン(Peter Kürten)逮捕。   ■妻を伴いカールスルーエの両親の元を訪れる。ここで、ベルメールは、ほとんどの時間を絵を描いて過ごした。近くの孤児院の少女たちをモデルにしたデッサンが幾つか残されている。
1931  

■独映画「M」。監督はフリッツ・ラング(Fritz Lang)。キュルテン事件をモデルにした。

■米映画『フランケンシュタイン』(Frankenstein)。監督はジェームズ・ホエール(James Whale)。

■推理小説『マネキン人形殺害事件』(Le Mannequin Assassine)発表。作者はベルギーのスタニスラス=アンドレ・ステーマン(Stanislas-Andre Steeman)。人形の殺害事件。

■オペラ「ホフマン物語」(Hoffmanns Erzählungen, Les Contes d'Hoffmann )公演。ジャック・オッフェンバック(Jacques Offenbach)作曲、マックス・ラインハルト(Max Reinhardt)演出による、ベルリン大劇場での175回連続公演(初演1931.11)。

■父親が脳溢血を起こして退職。これを機に、両親や従妹ウルスラの家族がベルリンに移って来ることになる。引越しの際、母親が送ってよこしたベルメールの子供時代のおもちゃ箱から強烈な印象を受ける。
1932

◇総選挙でナチスが第一党になる。

◇ペーター・キュルテンの死刑(7月2日)。

■物理学者メイ、「ロボットアルファ」発表。

■推理小説「蝋人形館の殺人」(The Corpse in the Waxworks)発表。作者は、米国のジョン・ディクスン・カー(John Dickson Carr)。蝋人形館での猟奇殺人。

■妻の肺結核の療養のため、チュニジアとイタリアを旅行。帰途、コルマールでグリューネヴァルトの「イーゼンハイム祭壇画」を見て深い感銘を受ける。

■年末、マルガレーテ、フリッツ、ウルスラを連れてオッフェンバックのオペラ「ホフマン物語」(マックス・ラインハルト演出)を観劇する。

1933 ◇ヒットラーは謀略により独裁的権力を手中にし、ナチスをドイツの唯一政党とする。 ■米映画「肉の蝋人形」(Mystery of the Wax Museum)。監督はマイケル・カーティス(Michael Cuertiz)。チャールズ・ベルデン(Charles S. Belden)の戯曲の映画化。屍体の蝋人形化。 ■最初の人形(First Doll)の制作に着手する。
1934

◇ヒットラー、総統に就任。第三帝国成立。

■サンフランシスコ万博で、歩くロボット「ウィーリー」発表。

■小栗虫太郎、雑誌「新青年」に『黒死館殺人事件』を連載(出版は1935年)。自動人形テレーズが登場。 ■人形の写真集『人形』を自費出版。これらの人形写真がパリのシュルレアリストたちに絶賛され、18葉の写真が「ミノトール」誌第6号に掲載される。
1935  

■米映画「フランケンシュタインの花嫁」(Bride of Frankenstein)。監督はジェームズ・ホエール(James Whale)。

■米映画「狂恋 魔人ゴーゴル博士」(Mad Love)。監督はカール・フロイント(Karl Freund)。ロベルト・ヴィーネ監督の「芸術と手術(オルロックの手)」(1925公開)のリメーク。歌姫イヴォンヌに恋い焦がれ、彼女の蝋人形を自宅に飾るゴーゴル博士。

■2月、パリに滞在しシュルレアリスト・グループと交流する。2月13日から開催されたシュルレアリスム・グループの絵画展(カトル・シュマン画廊)にデッサンを出品。

■ポール・エリュアールの詩「アップリケ」が、ベルメールとマン・レイの写真を添えて「ミノトール」誌第7号に掲載される。

■腹部球体を持った関節人形(Second Doll)を制作。

以下に注目すべき点を列挙します。

  1. 世界初のロボットブーム。
     1920年代には、欧米や日本において最初のロボットブームが訪れていた。当時の人々にとって電気機械的ロボットはフィクションにとどまらず、科学技術レベルでのテーマとして受け取られた。
     (参考:Yahoo! JAPAN - 【週刊特集 Vol.5】 アトムはもうすぐそこ! ロボット特集2007

    ※ベルメールとロボットブームの関係を指摘した例は見あたりませんが、自動人形オランピアというフィクションから「パノラマ機構を持つ等身大人形の製作」という実行プランを着想した背景としてロボットブームの存在を考えると、事態が理解しやすくなります。

  2. 人間と人形の関係をめぐる探求。

    ※人間の身代わりとしての人形、人間と人形の入れ代わりや取り違えなど、人間と人形の関係に関する様々なケースが登場しています。

  3. キュルテン事件。
     少女を絞殺して首を切り裂いたケース(1929年、複数)や少女の屍体を2本の立ち木の間に磔のようにして縛りつけようとしたケース(1929年)がある。犯罪研究家のカール・ベルク(Karl Berg)博士は逮捕後のキュルテンとのインタビューを元にした研究結果を論文(1931)および著書(1932)として公刊している("Der Sadist: Gerichtsärztliches und Kriminalpsychologisches zu den Taten des Düsseldorfer Mörders Peter Kürten")。
     (参考:Amazon.de: Der Sadist. Der Fall Peter Kürten: Bücher: Karl Berg


"First Doll"の写真における表現の移行について

 既に[覚書2−5]で指摘したように、"First Doll"の最初のプランは腹部にパノラマ機構を内蔵した少女人形でした。しかし、製作の過程で<解体された人形>の表現に移行していきます。「ミノトール」第6号に掲載された一連の写真(下図)を見ると、この移行の様子が良く分かります。

「ミノトール」掲載写真
「ミノトール」第6号に掲載された人形写真

 上の図の右上の頂点から左下の頂点にかけて対角線を引いてみましょう。このとき、対角線の左上の領域には、最初のプランに従って製作するプロセスを記録した写真が並べられています。この段階では未だ球体関節は採用されていません。一方、右下の領域には、球体関節を利用して<解体された人形>を表現した写真が並べられています。この中でもとりわけ強い印象を与えるのは、右頁左下に配置された写真(下図)です。

「ミノトール」掲載写真

 髪の毛が本来の位置にではなく、まるで切り裂かれた首から流れる血のように置かれています。この写真で表現されているのは、紛れもなく殺害された少女です。[覚書2−5]から一文を引きましょう。

 ベルメールは最初の人形を製作しながら、その製作の各局面で人形の写真を撮影して、その集成を「芸術作品」として提示しようとしていた。そして、その過程で<解体された人形のイメージ>を発見する。上述のように、人形製作では、まず身体のパーツが個別に作られるわけだから、この発見はごく自然な出来事だったと言えるだろう。そして、彼は、その衝撃的なイメージの可能性を探求していく。この時、ベルメールの念頭に「デュッセルドルフの殺人鬼」のニュースがあった可能性も考えられるだろう。また、その探求の過程で、エロティシズムと一体化した暴力性を己自身の中に発見したかもしれない。

 キュルテン事件の時期と内容を見るなら、むしろベルメールの人形写真に影響を及ぼさなかったと考える事の方が難しいように思われます。

 ところで、ベルメールの最初のプランであった<腹部にパノラマ機構を内蔵した少女人形>は完成したのでしょうか? これまで公開された写真の中には、完成した人形の姿は見られません。


2007年9月30日公開
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