[覚書2]
まず、これまでの検討内容を大まかに整理する。
澁澤的ベルメール論には以下の二つの大きな問題点がある。
この二つの問題に共通しているのは、澁澤がベルメール論の基軸に据えようとした人形愛論と、それに還元されない要素との間の不整合を示しているという点である。
さて、これ以降は、澁澤のベルメール論を外部の視点から検討することになる。
その前に、まず議論の足場を固めておこう。私は、ベルメール論が最低限考慮すべき事項として、以下の3点を挙げたいと思う。
澁澤のベルメール論は、上記の第一項目と第二項目については、まともに議論していない。ただ、第一項目については、少なくとも知識としては把握していた(「ハンス・ベルメール、肉体の迷宮」)。このような知識があれば、ベルメールの創作が最初のプランから<解体された人形>の表現に至るまでに何らかの転換点を経由した、と考えるのが自然だろう。実は、既に見たように、澁澤は『人形塚』において同様の問題にぶつかっていた。しかし、はたして、澁澤はそれを問題として認識していただろうか? 後のベルメール論を見る限り、その形跡は見当たらない。
このことには、おそらく、彼の思考様式が関係している。
以下は、既に引用した「ベルメールの人形哲学」(1972)の文章である。
人間のエロティックな解剖学的可能性を、快感原則によって再構成することが、ともするとベルメールのひそかな野心だったのかもしれない。 (「ベルメールの人形哲学」)この部分の「元ねた」となった文章は、サラーヌ・アレクサンドリアンの『ハンス・ベルメール(骰子の7の目)』(原著刊行1971年)に見られる。
人形を操作して、これに想像し得る限りのあらゆる姿勢をとらせながら、彼は「肉体的無意識」ともいうべきもの、つまり快楽原則によって人間の解剖学を創造することをめざす、抑圧された欲望の塊ともいうべきものが存在することを発見したのであった。 (サラーヌ・アレクサンドリアン 『ハンス・ベルメール(骰子の7の目)−シュルレアリスムと画家叢書3』)ここで重要なのは、澁澤は、この時、サラーヌ・アレクサンドリアンの「発見したのであった。」という結語を「野心だったのかもしれない。」と言い換えた事である。ここで棄てられたものと付け加えられたものとの相違は、実は決定的な意味を持っている。それは、澁澤がベルメールの創作のプロセスをどの様に捉えたかを示しているからである。
サラーヌ・アレクサンドリアンの認識によれば、ベルメールは創作の過程で<快楽原則に基づく解剖学(的欲望)>の存在を発見したことになる。これに対して、澁澤は、<快楽原則に基づく解剖学>の意図の下に人形製作を行ったと捉えたのである。
もう一度、澁澤のベルメール論を思い起こしてみよう。「自己愛」、「子供の最初の形而上学」、「快楽殺人の欲望」。これらはいずれも、ベルメールを直接的に創作(あるいは「破壊」)に駆り立てる欲望として措定されている。澁澤の目に映るベルメールは、己の欲望に駆動されて芸術作品を産出する「機械」であるかのようである。 ...だが、それでベルメールを理解できるのか?
ここで再び上記の1〜3項目と澁澤のベルメール論との関係を吟味してみよう。
第一項目は、人形製作の動因の解釈としての第7論点(「子供の最初の形而上学」)全体を否定する根拠になる。もともと「破壊の対象」として人形を製作したのであれば、わざわざパノラマ機構など付ける訳がないからである。(参照資料のコメント参照)
澁澤の視点から抜け落ちているのは、<ベルメールは人形を自らの手で製作しなければならなかった>という自明の事実である。例えば、『人形塚』では、人形は人形塚に遺棄された少女の死体という形で唐突に主人公の前に現れる。仮に、彼が人形製作者であるという設定であったなら、<人形の解体>というテーマは完全に無意味になるだろう。何故なら、人形製作の過程では、バラバラの人体部分が最初に出来上がるからだ。
おそらく澁澤の論点で、第一項目に矛盾しないのは、ナルシシズム的人形愛論に対応する第4・第5論点だろう。 この件についても、将来、パノラマ機構を付ける必然性について追究していく過程で、否定的な結論が得られる可能性はある。しかし、少なくとも現時点では、この件を積極的に否定する要素は見当たらない。(一方、第3論点「アニミズム、呪術、魔術」では第一項目を説明できないことは明らかだろう。)
また、第三項目については、ファンム・オブジェ論で対応可能かもしれない。(次章で述べるように私自身は別の考えを持っているが。)
しかし、第二項目は、澁澤の論点からはどうしても説明できない。この問題は、『人形塚』においては「人形愛」と「人形の解体」との断絶として現れた。これが澁澤の人形愛論とベルメール論との不整合をもたらす。そして、彼は最後まで、この論理の断層を解消することができなかった。ベルメールの人形製作の全ての局面を「ベルメールの欲望」という観点から説明しようとすれば、第二項目が指し示す表現の変遷過程は見えてこないのだ。そして、そのような思考様式こそが澁澤のベルメール論を破綻に導いたのだと、私は考える。
少なくとも私にとって、第二項目の唯一可能な解釈は、ベルメールが人形製作の過程で<解体された人形のイメージ>を発見した、ということである。
一般に、創作という実践の過程では、作業開始時には予期しなかったイメージを発見することがある(四谷シモンの「木枠で出来た少女3」は、そのような例である)。
ベルメールは最初の人形を製作しながら、その製作の各局面で人形の写真を撮影して、その集成を「芸術作品」として提示しようとしていた。そして、その過程で<解体された人形のイメージ>を発見する。上述のように、人形製作では、まず身体のパーツが個別に作られるわけだから、この発見はごく自然な出来事だったと言えるだろう。そして、彼は、その衝撃的なイメージの可能性を探求していく。この時、ベルメールの念頭に「デュッセルドルフの殺人鬼」のニュースがあった可能性も考えられるだろう。(参照資料のコメント参照) また、その探求の過程で、エロティシズムと一体化した暴力性を己自身の中に発見したかもしれない。
このようにして制作されたベルメールの第一写真集『人形』は、したがって、様々な傾向のイメージから構成されている。その一つ一つのイメージをベルメールの欲望の直接的所産と見なし、さらにそれを無制限に一般化しようとすれば、混乱をきたして当然なのだ。
そして、その混乱は、第2写真集『人形の遊戯』、論稿『イマージュの解剖学』へと続くベルメールの創作と思索のプロセスを無視する事によってさらに増幅され、「迷宮」の様相を呈するようになる5)。
この迷宮から脱出するためのアリアドネの糸は、作品制作の実践感覚である。ベルメールの人形製作過程を或る程度自分の実感として把握できなければ、この迷宮からは逃れられない。澁澤の論点のそれぞれが魅力的に見えるだけに、それらが逆に呪縛となって、なおさら脱出が困難になる。
だが、澁澤的ベルメール論にとって不幸な事に、当時、人形製作の知識が一般的でなかったことに加えて、澁澤自身が物づくりの作業を極端に苦手としていた6)。
そして、彼は迷宮に閉じこめられた。その迷宮は彼自身が創り出したものである。
以上は、澁澤のベルメール論が迷宮化した原因についての、私なりの解釈である。
ここまで来て、漸く、これまで残してきた第8論点の問題を考察することができる。
第3章では、第8論点「ファンム・アンファン、少女崇拝」の出現は、ベルメール・テーゼの問題点が顕在化した結果である、と述べた。この意味は、<澁澤的ベルメール論の中で、ベルメール・テーゼによって象徴されるナルシシズム的人形愛論が支配的になり、それに還元されないベルメール的要素が澁澤の「実感」から消え去ることによって、はじめて、第8論点の展開が可能になった>ということである。
では、第8論点出現後の「人形愛の形而上学」とは、どのような作品だったのだろうか? この作品で澁澤は、それまでの人形論エッセイから様々な議論を切り出してきて纏め上げ、人形の精神史として俯瞰しようとした。その意味では、この作品自体が「モザイク」という側面を持っている。その結果、ベルメール評価におけるアニミズム的人形観とナルシシズム的人形観の相克を明瞭に浮かび上がらせることになってしまった。 ...これが私の評価である。(参照資料のコメント参照)
この他、この検討の過程で気付いた問題点をいくつか指摘したい。これらは、当サイトのテーマを追究する上で深く関わってくる問題である。
澁澤は、エッセイ「悪魔の創造」(原題:「人造人間論」(1976))の冒頭で、『撰集抄』に収められた西行の人造人間造出のエピソードについて語っている。西行は、人恋しさに、死者の骨から人間を造り出す反魂の秘術を試みるが、巧くできない。そこで、秘術の大家師仲卿に失敗の原因を訊ねたところ、詳細に教えを受けることができた。このエピソードの結末を澁澤は次のように書く。
西行は師仲卿の忠告にしたがって、ふたたび人間を造ろうと志したであろうか。否である。「聞くにも無益のわざと覚え侍り」とみずから洩らしているように、彼はつくづくうんざりしたようだ。何が彼を不快な気分にしたのだろうか。おそらく、神のみに許された人間創造の事業を簒奪しようとする、人造人間造出の野望に伴う宿命的な不吉の匂いを、おぼろげに感知したのである。神の創造の秘密を盗む行為に、なにか悪魔的なものを感じたのである。本人(あるいは説話の作者)がはっきり意識したかどうかは疑問であるが、それは一種の形而上学的な不安と言っても良いであろう。問題は、ここである。澁澤は、日本の中世の物語を解釈するにあたって、「神の創造の秘密」だの「悪魔的なもの」だの「形而上学的な不安」だのといった西洋的概念を当てはめても、ことさら奇異には思っていないようなのだ。
とりわけ初期の澁澤は、西欧的心性と日本的心性の相違を全く考えていない。これは、当時の澁澤の仕事からすれば当然であったかもしれない。
もう少し例を挙げよう。
神聖や恐怖の感情がもはや有効性を失っている現代においては人形の純血種を保証するものは、わたしには、エロティシズムのみではなかろうかとさえ思われる。そして玩具における古き魔術の理想は、これまた、ある種の人形にしか発見できないのではないかとさえ考えざるを得ない。 (「玩具考」)
私たちの生活意識のなかで、すでに呪術は死に絶えているが、ただエロティシズムの造形的表現にのみ、それが奇妙に生き返ったかのような印象をあたえる。 (「ハンス・ベルメール、肉体の迷宮」)
神聖や恐怖の感情がもはや有効性を失っている現代においては人形の純血種を保証するものは、私には、エロティシズムのみではないかとさえ思われる。ベルメールの人形が、この間の事情を何よりも雄弁に語っているだろう。 (「人形愛の形而上学」)
これらの文章で、澁澤は、現代ではアニミズム的あるいは呪術的な心性は消滅したと主張し、ベルメールの人形が「古い人形」をエロティシズムの造形表現という側面において復活させた物であるという認識を述べている。
しかし、「人形愛の形而上学」では、上記の引用のように「玩具考」の文章がほぼそのままの形で継承されている一方で、それに矛盾する文章も記されている。
わが国でも、藁人形や形代による人形信仰は連綿と行われている (「人形愛の形而上学」)「人形愛の形而上学」では、このような自己崩壊の徴候がいくつかの場面で見られるが、本当のところは澁澤はどのような認識を持っていたのだろうか?
澁澤のベルメール論の原点と言うべき小説の題名となった人形塚は、日本のアニミズム的人形観の一つの象徴というべき存在である。(人形塚で供養される人形は、少なくとも供養する人間の主観では「魂を持った人形」であって「呪物としての人形」ではない。この時、アニミズムと呪術とは明確に区別されなければならない。)
それにしても、こんな古風な風習が、いまだに廃れずに行われているとは不思議ではないか。かつて人形を信仰の対象物とした時代があったであろうことは、想像するに難くはないが、現在まで、そんな迷信が人知れず続いているとは・・・・・・ (「人形塚」)明らかに澁澤は、日本に残る人形信仰の存在を知識としては理解していた。しかし、「人形塚」の主人公の行動にはアニミズム的心性の痕跡は全く見られない。「彼」は澁澤の分身である。生粋のナルシシストである澁澤にとって、日本的なアニミズム的心性は実感の伴わない、いわば他人事だったのかもしれない。そして、彼がベルメールの人形に「アニミズム的信仰の影」を感じた時も、<人形そのものが纏う情念の力場>というより、むしろ<人形に反映された作者の強烈な欲望>を嗅ぎ取ったのであろう。すなわち、「固有の魂を持った人形」ではなく「呪物のようなもの」として感受したのだ。
しかし、少なくとも当サイトの論点においては、日本に残るアニミズム的心性を考慮に入れた上で、ベルメールの影響を考える必要がある。もちろん、日本人の人形観を考える上では、澁澤が明らかにしたナルシシズム的人形観も無視することはできない。おそらく、これら二つの人形観の間には連続的な階調が存在し、現代の日本では、人によって、また状況に応じて、その位置するレベルは様々に変わり得るのではないだろうか。
次に、セクシュアリティの問題について述べる。とは言っても、澁澤が自らの人形愛論の対象を男性だけに限定していることは、ほとんど自明だろう。もし澁澤が現代の女性人形作家たちの作品を見たなら、どの様な感想を持つかは、興味のあるところだが、いずれにしても澁澤的な人形愛の概念ではこの問題は解明できないだろう。
以上で、澁澤龍彦のベルメール論を相対化する作業は一応終了したと考える。
次章では、澁澤的ベルメール論の歴史的意義について論じたい。