ハンス・ベルメール:日本への紹介と影響

− 球体関節人形を中心に −


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[覚書1]

奇妙な符合 −ベルメールと「ホフマン物語」−

 ベルメールが最初の人形の制作に着手する1933年の前年、彼は、妻マルガレーテ、弟フリッツ、従妹ウルスラと共にオッフェンバックのオペラ「ホフマン物語」を観劇した。このオペラに登場する自動人形オリンピア(オランピア)が、等身大の少女人形の制作という着想の重要な源泉の一つになったことは良く知られている。

 しかし、このオペラについて調べているうちに、それとは異なる、ベルメールと「ホフマン物語」との間の或る奇妙な関係に気が付いた。この事について簡単に記しておくことにする。


 「ホフマン物語」は、ドイツ・ロマン派の作家E.T.A.ホフマンの短編小説を下敷きにしたオムニバス形式のオペラであり、「砂男」、「顧問官クレスペル」、「大晦日の夜の冒険」の3作品に基づく3つの奇怪な恋物語にプロローグとエピローグが加わった全5幕から構成されている。

 以下は、ホフマンの恋物語に焦点を絞って纏めたオペラのあらすじである(フリッツ・エーザーによる校訂新版に基づく)。

第1幕 ホフマン

 場所はベルリンのオペラハウスの地下にある酒場。主人公は詩人のホフマン。彼は、歌姫ステッラへの恋心を持て余して飲んだくれ、居合わせた学生達を相手に3つの失恋物語を語り始める。

第2幕 オランピア

 イタリアの物理学者スパランツァーニの弟子になるために彼の家を訪れたホフマンは、スパランツァーニの美しい娘オランピアの寝姿を見て心惹かれる。そして、スパランツァーニの「友人」コッペリウスから買った眼鏡によって盲目の恋に落ちる。
 彼女は、お披露目のパーティーで歌を唱い、ホフマンとワルツを踊る。踊りの速度は次第に速まり、稲妻のように激しくなる。しかし止まらない。やっとの事でスパランツァーニが止めに入ってオランピアは停止し、ホフマンは気絶する。そして、意識を取り戻した彼の耳に飛び込んできたのは、機械が壊れる凄まじい音。そして、彼が見たものは、取っ組み合い罵り合うスパランツァーニとコッペリウス、そして破壊されたオランピア。彼女が自動人形であったことを知ったホフマンは再び長椅子に倒れ込むのであった。

第3幕 アントニア

 ミュンヘンの顧問官クレスペルの娘アントニアは、名歌手であった母親ゆずりの才能を持ち、また音楽を心から愛している。しかし、胸を病む彼女は、歌を唱うことを父親から禁じられている。そして、恋人ホフマンに合うことも。
 クレスペルは、歌を唱い続けると死に至る不思議な病気によって妻を失い、そして、娘も同じ病気を受け継いでいることに心を痛めている。
 彼女の病気を知ったホフマンは、彼女を死から救い出すことを決意する。しかし、悪魔の化身ミラクル医師は魔力を用いて、アントニアに母の歌声を聞かせ、彼女に歌を唱うように強制的に誘導する。そして、アントニアは、必死の抵抗もかなわず、歌の誘惑に身を任せ、恋の歌を唱いながら息絶える。

第4幕 ジュリエッタ

 ヴェニスの高級娼婦ジュリエッタは、悪魔の化身であるゴンドラの船長ダペルトゥットの要請で、男をたらし込みその影を盗んでいる。最近の犠牲者はシュレーミルという名の男だった。
 ダペルトゥットの次の狙いは、ホフマンの鏡像である。ホフマンは、ジュリエッタに靡こうとしなかったが、彼女の巧妙な嘘によって恋の虜になり、自分の鏡像を彼女に渡してしまう。ホフマンは、ジュリエッタの部屋の鍵を持つシュレーミルと決闘して彼を殺し、鍵を奪ってジュリエッタのもとに向かう。しかし、彼が見たものは、彼女がダペルトゥットのゴンドラに乗って高笑いをしながら去るところだった。

第5幕 ステッラ

 3つの物語の3人の恋人、オランピア、アントニア、ジュリエッタは、実は一人の女ステッラへの想いが生んだ幻想であった。
 しかし、泥酔したしたホフマンは、彼の前に現れたステッラの想いを知ることが出来ず邪険に扱う。そして、ステッラは彼のもとを去っていく。

 「ホフマン物語」はオッフェンバックの死によって未完成のまま遺され、後にかなり恣意的に手を加えられた。このため、<「ホフマン物語」にはオリジナル版はない>と言われる。例えば、1881年の初演ではジュリエッタの幕が削除された。また、グスタフ・マーラーによる上演では、酒場の場面が無視され、ホフマンが語る3つの幕のみになったとのことである。

 ベルメールが観た「ホフマン物語」は、マックス・ラインハルト演出による、ベルリン大劇場での175回連続公演(初演1931.11)であった。この時の公演の内容については、まだ調査できていないが、これに先立つベルリン・クロル歌劇場における公演(1929年2月初演、エルンスト・レーガル演出)では、アントニアの幕とジュリエッタの幕の順序が入れ替わっているものの、全ての物語が演じられていた。1905年の「ホフマン物語」復活以降、物語の解釈には多くの問題を残しながらも、少なくとも演劇内容の大枠についてはコンセンサスが存在していた。したがって、マックス・ラインハルトの演出においても、特定の幕が削除されるようなことはなかったはずである。おそらくベルメールらは、上掲の幕を全て観ることができただろう。

 さて、問題はここからだ。

 ベルメールは、第2幕のオランピアからインスピレーションを得て、翌1933年の年末に意を決して人形制作に取りかかる。彼の妻マルガレーテはその試みを温い言葉で応援したという。当時、マルガレーテの肺結核の病状は、かなり悪化していたようである。オペラ観劇の前にも、療養のためベルメールと共にチュニジアとイタリアを旅行したが、快方に向かうことはなかった。  そのような彼女が「ホフマン物語」を見たとき、第3幕のアントニアの運命と自分の運命とを重ねて見ることはなかっただろうか? そして、ベルメールが「人形」を作り、その「性と死」を写真に収め始めたとき、「第2幕」が終わり、自らの「第3幕」が近付いていることを予感しなかっただろうか?
 1938年2月、マルガレーテは結核で死去する。

 ベルメールの二度目の結婚は1942年。相手はフランス人女性マルセル・セリーヌ・シュテール。戦争という困難な状況下において身の安全を守るための結婚であったとされる。しかし、妻には以前から年上の愛人がおり、結局、この結婚は破局する。そして、1945年には妻と完全に離別。同時に双子の娘(ドリアンヌとベアトリス)と生き別れになる。ベルメールは、とりわけドリアンヌを熱愛しており、この離別によるショックで寝込むほどであったという。まるで、自らの鏡像を失ったかのように。...このようにして、彼の「第4幕」が閉じる。

 ならば、ベルメールにとっての「ステッラ」とは、誰だったのだろうか?
 ウニカ・チュルン...ベルメールが脳卒中の発作によって半身不随に陥った後、深い絶望に捕らわれ、ベルメールを残して死の世界へと去った彼女であろうか?
 ある意味で、ウニカはベルメールの「人形」であり「病弱な恋人」であった。そして、彼女がベルメールのアパートの窓から身を投げたとき、彼女は自らが体現していたベルメールの「鏡像」を永遠に彼のもとから奪い去ったのだ。


 ベルメールの生涯と「ホフマン物語」との間の奇妙な符合。確かにこれは単なるこじつけにすぎないのだろうし、本来、大真面目に論じるべき事柄でもない。
 しかし、そのように割り切ってもなお、なにか不思議な運命のようなものに対する感慨が、今も消えることなく心に残っている。

参考文献

名作オペラ ブックス 14 オッフェンバック ホフマン物語』 (編=アッティラ・チャンパイ,ディートマル・ホラント,訳=酒巻和子) (音楽之友社, 1988.4.20)


2002年9月18日更新 (2002年9月16日公開)
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