緋衣汝香優理がハンス・ベルメールから大きな影響を受け、そして現在でも関心を抱き続けているであろうことは、彼女の作品やWEBサイトの画像から判ります。 そしてそれと同時に、彼女とベルメールとの間には或る本質的な相違が存在することも見て取ることができるように思われます。
しかし、当サイトを開設した時点では、彼女とベルメールとの関係を具体的に証する資料は見つかりませんでした。その後、彼女の公認サイト「水の迷宮」(Labyrinth of Water)でBBSが開設され、緋衣汝氏から直接回答をいただくことができました。その内容を以下に引用します。快く引用を認めて下さった緋衣汝氏に深く感謝いたします。
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いま改めて彼女の作品を見ると、彼女こそ最も深くハンス・ベルメールの本質に迫り得た作家ではないかと、驚嘆の思いを抱かずにはいられません。
[コメント](暫定版)
緋衣汝香優理の作品や文章から感じられるのは鋭利な感性と明晰な知性である。彼女の初期の作品では、それらの故に「外界」との接触面で生じる違和感が描かれる。それがもたらすのは、まるで生皮を剥がれるような痛みと世界に対する拒絶だ。そして、それらは自らの内部へと向かい、核心に反射して作品に転移する。あたかも自傷する少女の心が人形に刷り込まれるように。
一つは、ハンス・ベルメールとの関連という問題意識からで、その点では、やはり初期の作品が気になりました。例えば、1991年の「七つの封印」やK1-doll開設記念展「変容-CHANGES-」の招待カードのモチーフからは、ベルメールの作品がいくつか連想されます(前者では「人形の遊戯」、後者では「夜開く薔薇」につながる一連のデッサンの初期のもの)。しかし同時に、ベルメールには見られない独特の感覚や視点も強く感じられました。例えば、木に磔られた人形では作者自身の精神の投影が感じられますし、腹部を切り開く少女では、「痛み」や「絶望」や「血の臭い」であったりします。
Blaue Katze 「水の迷宮」のBBSにて(2002年7月9日)
彼女にとって人形は対象であり、同時に自己の分身である。ベルメールの人形写真では、ベルメールは常に人形を見つめる側にいる。しかし、緋衣汝香優理の作品では、作者は人形を見つめると同時に人形に同化する。木に磔られた人形では、蹂躙された少女の放心が描かれる。
ベルメールの初期のデッサンには、腹部を開いて内臓を見せる幼い少女を描いたものがある。その少女の顔に感情は見られない。しかし、緋衣汝香優理の作品は、それに対して「違う!」と叫ぶ。少女は痛いのだ。しかし腹部を切り開かなければならない彼女の絶望の原因がそこにあるのだ、と。
しかし、次第に彼女の人形は、強固な意識を持って「世界」と対峙するようになる。彼女らは自らの運命を見据える。
"CHANGES"の2002年のindex photoを見たときには本当に驚嘆しました。
この人形に表現された高い知性と意志、そしてその人物の宿命すら想起されるような陰影のある表情。...このような感想は作者の制作意図から外れるものかもしれませんが、私は、この作品に高度の人物表現を見ました。二次元の画像作品という形ではありますが、ここまで人間の実存を鮮明に造形した人形を見たのはこれが初めてです。
Blaue Katze 「水の迷宮」のBBSにて(2002年6月2日)
もう一点関心を持ったのは、緋衣汝さんの作品の「変容」です。
初期の作品の多くには、「世界」に対する強い拒絶と孤絶感が表現されているように感じられます。しかし、最近の"Index Photo"では世界と運命とを見据える意志が感じられるように思われます。私は、この変容を「人間」に対する理解の深化として解釈しました。
Blaue Katze 「水の迷宮」のBBSにて(2002年7月9日)
他者の痛みを感じることができないように、人間は、永遠に解り合えない何かを抱えながら互いに相対している。しかし、それと同時に、その孤独を表現する人形に惹かれる者が居ると言うことが、逆説的に、人間が本質的に他者との繋がりを求める存在であることを示している。彼女の変容をもたらしたのは、彼女に対する「共感」の存在であったのかもしれない。