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サラーヌ・アレクサンドリアン 別冊付録: 瀧口修三 「真珠と煉瓦 ベルメール断章」 |
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1971年、フランスのFILIPACCHIから出版されたハンス・ベルメール画集の翻訳。美しい画集です。 ベルメールが人形作りを開始した動機は重要な論点の一つです。著者は、ナチズムへの抗議という側面を強調しています。 彼の人形は、同時にナチズムの勃興に対する一つの抗議でもあった。遊びを宣揚する無償の創造、女の子(ファンム・アンファン)によって掻き立てられたあらゆる色情的な感覚の方法的実現をもって、彼はナチズムに対抗しようとしたのである。コンプレックス解放のための手段となるような、一種の大人の玩具を作ろうと考えたのである。 彼の最初のプランは腹部にパノラマ機構を内蔵した少女人形でした。しかし、その製作の過程で、彼の転機となるような重要な「発見」をした、と私は考えています。そして、その発見のレポートが彼の『人形』という写真集でした。著者は、次のように書いています。 人形を操作して、これに想像し得る限りのあらゆる姿勢をとらせながら、彼は「肉体的無意識」ともいうべきもの、つまり快楽原則によって人間の解剖学を創造することをめざす、抑圧された欲望の塊ともいうべきものが存在することを発見したのであった。 |
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澁澤龍彦
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澁澤龍彦の人形愛論を含む広義のエロティシズム論を集成した書物。ベルメールに関しては、1972-73年にかけて書かれたエッセーが掲載されています。 |
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雑誌 粟津則雄 「線のエロス ハンス・ベルメールの素描と版画」 (p.46-51) 挿絵図版: 「自画像」(グワッシュ)、「地下の胎児」(ビュラン)、「女優」(ビュラン)、「少女」(ビュラン)、「踊っている女」(ビュラン)、「道徳に関する小論」(和紙銅版彩色)、「道徳に関する小論」(混合技法)、「花びら」(鉛筆デッサン)、「女優」(鉛筆デッサン)、「不具者を見つめるベアトリーチェ」(銅版) |
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粟津則雄 「線のエロス ハンス・ベルメールの素描と版画」 |
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(250x200mm, 202P) |
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ハンス・ベルメールが出版した3冊の書物を纏めて収録したドイツ語版(1962年)の翻訳。種村季弘による「解説にかえて」(p.193-202)が出色です。 ベルメールにとって表現とは、造形表現にまれ、言語表現にまれ、一度たりと審美的な満足を意味したことはなく、つねに苦痛として強烈に意識された監禁状態からの限界の彼方の自由に具体的に到達せんがための試みであり、ほとんど犯罪者のそれさえ思わせる、全存在を傾注した肉体的行動だったのである。 |
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澁澤龍彦
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澁澤自らが『幻想の画廊から』 の姉妹編と呼ぶ作品。 以下に示す「ハンス・ベルメール、肉体の迷宮」の一節では、『幻想の画廊から』の「玩具考」で触れられた「ベルメールとアニミズム」という観点が、より具体的に述べられています。 現代芸術は幾多の幻覚的な絵画やオブジェを生み出したが、ベルメールの人形は、そのなかでも最も強力な、最も刺激の強烈なものだと私は思う。それはイメージというよりも、オブジェというよりも、むしろ一種のフェティッシュ(呪物)であり、偶像であるような気が私にはする。子供が愛撫する人形のような、原始民族が崇拝する呪物のような、なにか芸術を踏み越えた危険な魅惑が、そこから放射されているような気がする。肉体の迷宮を踏み迷うベルメールの執念には、人類が遠い過去の闇の中に忘れてきた、あの呪術に似た願望がひそんでいるような気さえする。 この文章と種村季弘の論考「人形貴種流離譚」とを併せて読むと、両者の間に類似の視点があることが判ります。この点は、十分検討すべき重要な問題だと思われます。ただし、ここで注意する必要があるのは、仮に我々がベルメールの人形に呪術的なものを感じたとしても、そのことがただちにベルメールの願望や心的傾向を指し示すものではないと言うことです。もともとアニミズム的な傾向の強い我々日本人がベルメールの人形を見たときに何を感じるかは、我々自身の心性に無関係ではあり得ないからです。 また、以下の文章は、『幻想の画廊から』の「イメージの解剖学」のものとほとんど同じであり、澁澤のベルメール評価がここに集約されていると考えられます。 すべての人形愛好者にとってと同じく、狷介孤独な芸術家ベルメールにとっても、女はイヴのように男の体内から出てきた存在であり、無意識の近親相姦コンプレックスの対象であり、そしてまた、隠された強烈な自己愛の変形であったことは疑いないところであろう。 最初の人形のモデルは誰なのか? 坂崎乙郎は妻のマルガレーテであると仮定した上で論考を進め、一方、澁澤龍彦は従妹のウルスラであるとして論じています。この問題は、ベルメールの人形について考える上で極めてクリティカルな問題だと思います。 この最初の人形の顔と胴体は、リアリスティックで生ま生ましく(ウルスラの顔を模したと言われている)、しかも関節でつながった身体の各部分が取り外し可能なので、いろんな姿勢をとらせることができるのである。 |
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ルイ・アラゴン 『イレーヌ』 口絵: 「イレーヌ」 (下図参照)
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ルイ・アラゴンの『イレーヌ』は、1928年に地下出版されたシュルリアリスム小説。初版にはアンドレ・マッソンの挿画(銅版画5点)が附されているとのこと。本書の巻末の生田耕作の解説によると、同時期に出版されたジョルジュ・バタイユの『眼球譚』初版(これもマッソンの挿画)と体裁がよく似ており、同じ出版社である可能性が大であるとのこと。したがって、ベルメールが挿画を担当することになった経緯についても、『眼球譚』の場合と同様であると推測されます。(詳細は調査中) |
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