ハンス・ベルメール:日本への紹介と影響

− 球体関節人形を中心に −


 Introduction 

 Bellmer 

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(6) 文献データ 1

ハンス・ベルメール関連 [1]

 
「アトリエ」

(256x190mm, 81P)

雑誌 「アトリエ」 VOL.16,NO.11 (アトリエ社,1939.10.1)

  • 山中散生 「ベルメエルの人形幻想」 (pp.40-44)

    挿絵図版: 『人形』より人形写真6点、『人形』の外観写真(下図参照。ジョルジュ・ユニエによる、表紙のカバーにレースをあしらったユニークな装丁が見られる)

『人形』の外観写真

 山中散生による「ベルメエルの人形幻想」は、現時点までの調査の範囲では、日本で最初の纏まったベルメール論だと思われます。この文章が書かれた時期は、「海外超現実主義作品展」を契機に昂揚した前衛美術運動が軍部の露骨な統制によって終息させられるまでの短い期間に対応しています。この時期、既に同盟国ドイツでは、1937年の「退廃美術展」に象徴されるように、近代美術に対する徹底的な弾圧が行われていました。日本の美術家や批評家は、このドイツの動向に注目し、これを日本でも将来起こり得る事態と考えて、強い危機感を抱きながら活動していました。
 また、この時点ではベルメールの芸術家としての活動も始まったばかりでした。そういった時代的制約もあり、また意味の取りにくい文章表現もありますが、現在から見ても注目すべき見解が幾つか見られます。

彼は自分の作品について「多色模様のネオンサインによつて腹の奥に啓示されたパノラマ」と述べてゐるが、これは彼が人形を解体し、形成し、且、あらゆる局面から眺め、発展せしめることによつて得られるべき彼の人形幻想である。即ち、(一)、人形を形成してゐる各部分は、自由に取外しが出来ること、(二)、そのいづれの部分も一個の作品的価値を要求し得ること、(三)、それからの部分はお互ひにあらゆる方法で結合せられ得ること、(四)、その人形に種々なる背景を与へることによつて、非常に異なつた感覚が与へられること、等に依つて彼が人形に与へるむしろサディスティックな愛は、徹底的に完成せられるのである。しかもこの第四の場合は、彼の人形がその石膏の臭気から、或は繊細な画筆の線から脱れて、不思議な第四次元の世界に飛び込む試みであつて、ここにカメラを向けることに依つて、写真家としての彼の位置が確保されるのである。
(p.40)

 山中散生は、ここで写真家としてのベルメールを明確に位置付けています。このような観点は、人形作家あるいは画家としての側面がクローズアップされるにつれて後方に退いていきます。しかし、ベルメールの人形作品が写真撮影という作業によって初めて完結するという事実に、もっと注目する必要があるのではないでしょうか。

 また、後にしばしば引用されるベルメールの文章がここでも引かれています。ベルメールの創作の原点が、権威化された「有用性」という価値に対する彼のアンチテーゼであったことは、現在ではほぼ共通認識になっていますが、既にこの時点で山中がこの観点の重要性に注意を向けていたことがわかります。

 彼の人形幻想についての極めて暗示的な言葉を少しばかり聴いてこの特異な作家の作品的性格をを追想したい。
「三文文士達、魔術師達、糖菓製造人達には、無鉄砲と呼ばれる神秘があり、何とも云ふに云はれない香気があつた。さうして彼等は誠に楽しい気分を伝へた。彼等は、僕の追想の中で、或る有利な目的観に結ばれている慣例的な不興を散らした。さうしてそれから最も遠ざかつている幾つかの道を好奇心に対して示してくれた・・・・・・」 と彼は先づ語るのである。
 完成された作家、何か為にせんがために器用に動く作家のつまらなさに対して、彼は素朴な、不器用な作家に於ける一種の完全な手品に信頼をおくのである。

(pp.40-41)

 また、以下の文章は、ベルメールのSecond Dollの写真や詩画集『枝状に刻みこまれた流し目』について言及しており、当時の中山がベルメールの活動をほとんどリアルタイムに把握していたことを示しています。

彼は数年前に、着色写真を発表したが、それはいづれも人形が主題となつている。その着色術は可なり大胆な、しかも繊細もので、例へば「森の中の人形」などは、森其の他人形の背景となるものは可なり天然色に近い色彩が用ひられてゐるが、主題の人形のみは、われわれの予想を裏切るかの如く、真紅色に塗りつぶされてゐる。それは眼に痛い程に画面から前面に推し出されてゐて、恰も焔の塊の如き感を抱かせるのである。着色写真に於けるかかる絵具の使用法は、おそらく一種のマジックに属するものと云はなければなるまい。
 彼の著書としては「人形」(写真作品集、一九三六年、G・J・M版)の外に、極く最近、デッサン集(ジャンヌ・ブユツセ版、ユニエの詩のためのデッサン)を刊行したが、その作品の極めて微細な線は、おそらくダリの微細画にも匹敵し得るものだらう。

(pp.43-44)

   
「みづゑ」663号

(289x206mm, 85P)

雑誌 「みづゑ」 663号 特集・第4回現代日本美術展/芸術とエロス (美術出版社, 1960.7.3)

  • 図版(R. Van Hecke 撮影による展覧会風景 12点)  (pp.44-50)
    (このうちベルメール作品は3点の写真で紹介されている: (1)床の砂にはめこまれた鏡に映るH・ベルメールの人形、 (2)H・ベルメールの宙吊りにされた人形(下図・上)、 (3)背景の絵はキリコ(下図・下)
    ※図(2)は雑誌「新婦人」(1965.3)に掲載された澁澤龍彦「女の王国 ポオル・デルヴォーとハンス・ベルメエル」 の挿絵に採用され、これを見た四谷シモンに衝撃を与えた。
  • 瀧口修造 「芸術とエロス シュルレアリスム国際展をめぐって (pp.51-55)
  • 秋山邦晴 「シュルレアリスム国際展をみて 新しい創造力の挑戦」 (p.60)
H・ベルメールの宙吊りにされた人形
宙吊りにされた人形 (p.47)

 本誌の「特集・芸術とエロス」では、1959年12月からパリで開催された「シュルレアリスム国際展」が紹介されています。ベルメールは、この展覧会に人形を出品しました。本特集の図版でベルメールの作品が3点もの写真で紹介されていることは特筆に値します。
 また、この作品に関して特に注目されるのは、人形の顔がかつて制作された『人形』や『人形の遊戯』の人形とは異なっており、ウニカ・チュルンに良く似ているように見える点です(ベルメールとウニカは、1953年にベルリンで出会い、翌年パリで同棲生活を始めている)

 この展覧会について、瀧口修造は次のように書いています。
 ところでこの展覧会の展示は3部にわかれ、第1部は<昨日>の部で、アルプ、キリコ、エルンスト、タンギー、ピカビア、ゴルキー、マッソン、エロルド、マグリット、ブラウネル、ベルメール、マッタなどの旧作であり、そのなかには、すでにグループと久しく訣別している作家たちも混っている。
(p.54)
 また、秋山邦晴は、実際に展覧会を見た感想を次のように記しています。
 個々の作品については、ずいぶん他愛のないあそびや、すっかり色褪せた幻想が額ぶちのなかで、楽天的な夢物語りをおしゃべりしている作品も多かった。たとえば、天井からぶらさげられた6本足のマヌカンが、床の鏡にはじらっているハンス・ベルメールのオブジェや、ミッキー・スピレーンのフランス版表紙絵といったトルイユの薄手のイマージュなどの想像力の涸枯状態に失望させられた作品がおおかったのである。
(p.60)

 たしかに、この作品には、かつての人形写真に見られた性と死の衝撃的なイメージはありません。しかし、戦後制作された銅版画(『眼球譚』、『マダム・エドワルダ』、『サドに』)等を見るならば、当時のベルメールが想像力の涸渇状態にあったどころか、ますます凄みの度を加えていたことが感じられます。
 私は、ベルメールの人形とはいわば「モデル」=「素材」であり、彼の人形作品は写真という表現手段によって初めてその具体的なイメージを与えられるものであると考えています。

   
「推理ストーリー」通巻第13号

(259x180mm, 164P)

雑誌 「推理ストーリー」 (第2巻第12号通巻第13号) (双葉社, 1962.12.1)

  • 澁澤龍彦 「人形塚」 (pp.62-75)

 澁澤龍彦の短編小説『人形塚』は、本誌に掲載された後は単行本にも収録されず、澁澤龍彦全集第3巻に補遺として収めらるまで日の目を見ることのなかった文字通り忘れられた作品です。しかし、この小説こそが、澁澤の最初の本格的なベルメール論と言うべき作品であり、「イメージの解剖学 ふたたびベルメエル」(1967.4)以降のエッセイで論じられた論点の多くが既に明瞭な形で現れています。(ただし、ベルメールの名前は出てきません。)

参考: 覚書2 「澁澤的ベルメール論のベルメール的迷宮」

   
「夢の宇宙誌」

(206x149mm, 230P)

澁澤龍彦 『夢の宇宙誌 コスモグラフィア・ファンタスティカ (美術出版社, 1964.6.10)

  • 「玩具について」 (pp.6-114) [初出: 「現代詩」 (1963.3, 1963.4)]

    挿絵図版: No. 50-51 人形(写真) (p.64)

 本書は、各章のタイトル(「玩具について」、「天使について」、「アンドロギュヌスについて」、「世界の終わりについて」)に象徴されるように、澁澤龍彦の精神の領土「ドラコニア」の原型ともいえる書物です。

 「玩具について」では、カバラのゴーレムや錬金術のホムンクルスから、遊戯機械や自動人形へと至る西洋美術と科学技術のいわば裏の歴史を広範に論じつつ、その中にベルメールの人形を位置付けてみせます。

 造形美術の場合、リアリズムの概念は、極端まで行くと奇妙な歪みを起こす。彼らが正統の美術界から締め出しを食っているのも、故なしとしない。
(p.59)
 人間に酷似していて、しかも人間ではない存在を創り出すこと、現実の精巧な模造品を生み出すこと、 ―― これこそ古来の練金道士の密かな形而上学的な夢であり、人形作りは、芸術の本道を踏みはずすことすら怖れずに、この昔ながらの願望を小規模に安っぽく実現するのである。彼らにとっては、芸術的歓喜よりも、この安っぽい実現の方が、遙かに大きな歓喜なのである。
(p.65)
 各時代のデカダンスは、大なり小なり、それぞれその時代に固有な自動人形、遊戯機械を所有したにちがいない、―― というのが、この論稿の主調となるべきわたしの見解である。
 それは一種のマニエリスムの端的な標識であり、わたしの言葉を用いることを許していただければ、この論稿の冒頭に説明したように、「芸術家の猿」であると同時に「技術家の猿」でもあるという、二重構造的精神の欺瞞的な表現であった。欺瞞的? さよう、神を欺くのである。
 つねに卑しめられ軽んぜられながらも、最も官能的に思想を表現してきた逆説の芸術。肉感的な美に対しても最も貪欲な精神主義。自然を装飾として、創造を遊戯として理解する極端な主観主義。――それがマニエリスムというものであろう。
(p.67)
 さらに、彼らのなかに、過去何年来というもの、人形に異常な関心をもちつづけているオブジェの製作者があることをつけ加えれば、わたしの今までの主張は、ますます確かな裏づけを得ることにもなろう。シュルレアリスムが、おのれのマニエリスムの端的な標識として掲げてもよいと思われる、その偏執的な画家の名は、ハンス・ベルメエルという。
 環節によって繋がった脚と胴体。胴を中心として、上半身も下半身も脚である。その伸びあがった脚のあいだから覗いている女の首。あるいは、そこに首がなくて、少女めいた陰部の溺孔が深く刳れている、環節によって痙攣的に身をよじらせた人形は、おおむね裸体であるが、パンティをはいていることもあり、ストッキングやソックスをはいていることもある。その生ま生ましいエロティシズム。・・・・・・
(p.67)

 上掲の文章は、澁澤の最初期のベルメール論1)です。ここで重要な概念として用いられているのが、「マニエリスム」です。この背景には、当時の欧米におけるマニエリスム美術史研究の高潮が存在しているものと思われます。 ただし、ここで用いられているマニエリスム概念は、美術史的に定義される(エポックとしての)「マニエリスム」ではなく、これを澁澤流に拡大解釈したものである事に注意する必要があります。

 マニエリスムとはルネサンスとバロックとの端境期に現れた美術の一様式であり、盛期ルネサンスの模範的技法(マニエラ)を唯一の規範とすることによって、結果的に、奇妙に歪んだ表現様式に行き着いてしまったものです。この様式に属する作品では、人体の等身、遠近法、明暗のコントラストなどの誇張的表現、あるいは謎めいた主題などが特徴として見られます。
 一方、澁澤的「マニエリスム」は、マニエリスムを古典主義に対立しつつ歴史を貫く普遍的な様式として論じたグスタフ・ルネ・ホッケ2)の影響を色濃く受けつつも、「異端的」あるいは「正統からの逸脱」という色彩を強調している点に特徴があります。このような澁澤的マニエリスム観が、美術史的に妥当であるかどうかは、私には判りませんが3)、いずれにせよ、ベルメールをマニエリスムに関連づけることは、ベルメールを理解する上では、さほど有効な視点だとは思えません。因みに、これ以降の澁澤のベルメール論で「マニエリスム」が重要な論点になることはありませんでした。

 いずれにしても、澁澤のベルメール論は、全て学術論文ではなくエッセイとして書かれたものであり、厳密な論述を求めるのは、そもそも筋違いかもしれません。
 しかし、一方では、このエッセイという手法こそが、アカデミズムの動向とは無関係に自由に自らの見解を述べることを可能にしたということも事実です。実際、当時、日本では全く認知されていなかった「マニエリスム」という言葉4)5)を紹介し、さらには、ハンス・ベルメールを取り上げて巨視的な西洋美術史の中に位置付けてみせるなどということは、まったく驚くべき事であったに違いありません。

 当サイトでは、澁澤のベルメール論の意義を歴史的に評価すると同時に、その論点を批判的に読み込むことを目指したいと思います。これが、日本へのベルメールの紹介に最も大きな役割を果たした澁澤龍彦に対する、当サイト流の敬意の表し方です。


[註]

1) 澁澤は、『あんま−愛欲を支える劇場の話』(土方巽DANCE EXPERIENCEの会, 1962.11)の巻頭に収録された「彼女は虚無の返事を怖れる」で初めてベルメールに論及した。これを最初のベルメール論とするなら、「玩具について」は二番目となる。

2) グスタフ・ルネ・ホッケ 『迷宮としての世界』。原著の出版年は1959年。日本語訳は、種村季弘・矢川澄子共訳で、美術出版社より1966年に刊行された。当時、澁澤龍彦は訳者の矢川澄子と結婚していた。

3) 少なくとも澁澤の最晩年の著作 『裸婦の中の裸婦』では、このようなマニエリスム観は姿を消している。私は、この初期の澁澤的マニエリスム観は、この後の若桑みどりの学術的研究( 『マニエリスム芸術論』(岩崎美術社,1980))等によって、完全に相対化されたと考えている。

4) この当時の日本の学会の状況については、若桑みどり 「註のない文章について」(「ユリイカ」臨時増刊 総特集・澁澤龍彦,(青土社,1988),pp.190-193.)や『マニエリスム芸術論』(ちくま学芸文庫,1994)の「文庫版へのあとがき」から詳しく知ることが出来る。

5) ジョルジュ・バタイユは1961年刊行の『エロスの涙』において次のように記すとともに、ベルメールの作品を他のシュルレアリストの作品とともに掲載した。(ただし、本文ではベルメールに言及していない。)[以下の引用は、樋口裕一の訳(トレヴィル,1995.2.25)から。]

 すべてのエロティックな絵画の中でもっとも心をそそるのは、思うに、マニエリスムという名で示されるものであろう。 (p.120)
 さて、最後に、いわば今日のマニエリスムを代表するシュルレアリストたちについて語る必要がある。 (p.160)
今問題にしている1963年の時点で既に澁澤がこの『エロスの涙』を読んでいたかどうかについては、まだ確認できていないが、少なくとも1968年の「ハンス・ベルメール 肉体の迷宮」では、この著作に直接言及している。


2003年8月15日更新 (2001年12月23日公開)
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