ハンス・ベルメール:日本への紹介と影響

− 球体関節人形を中心に −


[Appendix目次]

Appendix 2 最初期の紹介

山中散生は、その著書『シュルレアリスム 資料と回想』(美術出版社, 1971)において、ベルメールが日本に最初に紹介された1936年および1937年の動向について、詳細に記しています。非常に貴重な資料だと思われるため、以下にその一部を引用します。


 第二の編著《L'ÉCHANGE SURRÉALISTE》の出版計画は、一九三五年初頭に策定され、その内容については、ブルトン、エリュアールの両名と相談のうえ決めたもので、シュルレアリスムの国際交流という視点から、この出版のもつ意義は大きかった。

(pp.152-153)

 挿画(絵画、写真、彫刻、オブジェ)は、アルプ、ブルトン、ベルメール、デュシャン、ダリ、エルンスト、ユゴー、マン・レイ、スティルスキー、タンギー、トイエンの十一名。

(p.154)

 本書の出版は、日本においてシュルレアリスムが受け入れられていることを、海外のシュルレアリストたちに知られるのに、すくなからず役立ったようである(註29)。しかし、このようなPRを決定づけたのは、翌年(一九三七年)六月から七月にかけて、東京、京都、大阪、名古屋の四都市で順次開催された海外シュルレアリスム展と、この展覧会を記念して出版された《ALUBUM SURRÉALISTE》が、ともに大きな反響を呼んだことであろう。
 この展覧会の当初計画は、デッサン、水彩、版画などの小品のほかに、作家の原稿、文献などを加え、資料展としての意義をもたせることにあった。

(p.154)

 私の計画は、まず、エリュアールに伝えられ、彼の協力により、予想を上回る資料が、フランスその他の国ぐにから、私の手許に送られてきた。その内訳は、水彩六点、デッサン三十一点、グワッシュ三点、コラージュ五点、版画十六点、絵画の複製写真約三〇〇点のほか、原稿、文献を含めて計四〇〇点にのぼっている。出品者は四十四名、当時ヨーロッパ地域に居住する代表的シュルレアリストを網羅している。これらの資料は、フランスではエリュアール、ジョルジュ・ユニェのふたりの詩人が、イギリスでは画家ローランド・ペンローズが、それぞれ中心になって関係者に呼びかけ、まとめてくれたもので、また、個人的にはドイツのベルメール、ルーマニアのブローネルなどからも作品が届けられている。

(p.154)

 この展覧会の出品作品のおもなものを収録した《ALUBUM SURRÉALISTE》(『みづゑ』臨時増刊号)は、原色版二点を含む一二五点を編集したもので、瀧口修造は緒言執筆と収録作品の日本訳を、私は作家録、年表、文献の執筆を、それぞれ分担している。シュルレアリスムの総合画集としては、世界的にみてももっとも内容の充実したものであった。

(pp.155-156)


また、この本には、他ではあまり見られない『人形の遊戯』(未刊に終わったカイエ・ダール版)の刊行案内状やベルメールの手紙の写真などが掲載されており、著者の山中がベルメールと直接接触していたことが窺えます。これらの記録から判断する限りでは、日本におけるベルメールの最初の紹介者は山中散生であると言えます。また、これらの資料から、この時期のベルメールが展覧会などの活動に積極的に参加していたことが分かります。

山中散生「シュルレアリスム 資料と回想」
山中散生『シュルレアリスム 資料と回想』 に掲載された『人形』仏語版の
表紙と内容の一部、およびベルメールからの手紙(1937年)

次の文章は、本書の巻末に纏められた図版解説です。

159 ハンス・ベルメール 『人形』(一九三六年、パリ、G・L・M版、一三・五×一八センチ、特製二五部、並製八〇部)の表紙。本書は、ベルメールの最初の著作で、巻頭に、著者の人形幻想に関するエッセーをかかげ、少女の人形を被写体とする作品一〇点(印画紙を直接台紙に貼付)を収めている。これらの作品は、『ミノトール』第六号(一九三四年十二月)に初めて紹介されたもので、著者のシュルレアリスム運動参加の記念作ということができる。
(p.197)
164 ハンス・ベルメールから著者あての、一九三七年七月十一日付けの手紙。内容は、『アルバム・シュルレアリスト』(東京、春鳥会版)送付にたいする礼状、その他を含む。
(pp.197-198)

"L'ÉCHANGE SURRÉALISTE"

1
"L'ÉCHANGE SURRÉALISTE" (Ref. 1)
1
挿絵として掲載されたベルメールの人形写真 (Ref. 2)

 

「みづゑ 臨時増刊 海外超現実主義作品集」

("ALBUM SURRÉALISTE")
1
「みづゑ 臨時増刊 海外超現実主義作品集」
("ALBUM SURRÉALISTE") (Ref. 3)
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左から 「魔法島」、「人形」(写真) (Ref. 4)

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左から 「隠れたる待望」、「最後に近い黒女神の青春」
(いずれも人形写真) (Ref. 5)

Ref. 1: 内堀弘 『ボン書店の幻 モダニズム出版社の光と影』(白地社,1992)の口絵(部分)。
 本書は、"L'ÉCHANGE SURRÉALISTE"を刊行した伝説の出版社「ボン書店」について調査した労作である。 1930年代初頭、鳥羽茂という詩の好きな一人の青年が「ボン書店」を名乗り、一人でモダニズム詩人の詩集やシュルレアリスム文献を出版し、そして、数年で姿を消していった。古書店の主人でもある著者は、歴史の中で忘れられたその青年の足取りを追いながら、その時代と青年の人生を浮かび上がらせていく。

Ref. 2: 和田博文(編) 『コレクション・日本シュールレアリスム 15 シュールレアリスム基本資料集成』(本の友社,2001), p.189.
 本書は、シュルレアリスムを特集した戦前の雑誌8誌を複製・収録した貴重な資料集である。図の人形写真は、"L'ÉCHANGE SURRÉALISTE"に収録されたアンドレ・ブルトンの「文化擁護作家大会に於ける講演」の挿絵として掲載された。この講演の内容とベルメールの作品との関係は特に無いようである。なお、この作品は、『人形』の写真No.2に相当する。

Ref. 3: 同上書, p.430.
「みづゑ 臨時増刊 海外超現実主義作品集」のカバー表紙。カバーを外した本体の表紙には"ALBUM SURRÉALISTE"と書かれている。

Ref. 3: 同上書, pp.413-412.(ページ番号は逆順)
「みづゑ 臨時増刊 海外超現実主義作品集」に掲載されたベルメール作品は、絵画1点(「魔法島」)と人形写真3点である。p.412の人形写真は、『人形』の写真No.3に相当する作品だが、上掲の『シュルレアリスム 資料と回想』 の『人形』仏語版と比較するとプリントが左右逆になっていることが判る。両者がほぼ同時期に出版されている事を考えると、やや奇異な印象を受ける。なお、1934年の「ミノトール」誌第6号に掲載された写真は、この「海外超現実主義作品集」と同じ向きになっている。

Ref. 5: 同上書, pp.411-410.(ページ番号は逆順)
  これらの二つの人形写真は、後(1949年)に『人形の遊戯』と題されて出版された"Second Doll"の写真である。これらの写真の表題(「隠れたる待望」、「最後に近い黒女神の青春」)は、『人形の遊戯』の中でそれぞれに付されたエリュアールの詩とは全く無関係であり、ベルメールが独自につけたものと思われる。


2004年4月10日更新 (2001年8月5日公開)
ハンス・ベルメール:日本への紹介と影響

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