ハンス・ベルメール:日本への紹介と影響

− 球体関節人形を中心に −


[Appendix目次]

Appendix 1 ベルメールの紹介者たち

瀧口修造(たきぐち・しゅうぞう) (1903‐1979)

 詩人。美術評論家。日本におけるシュルレアリスムの理諭的指導者。
 富山県生まれ。慶應義塾大学再入学後、西脇順三郎に出会いシュルレアリスムに傾倒した。1930年代には、パリのアンドレ・ブルトンと親交を結び、ブルトンの著作『超現実主義と絵画』の翻訳、フランスの雑誌への寄稿など、活発な活動を行った。戦後は、シュルレアリスムの作家たちを国内に広く紹介するとともに、多様な分野で美術評論を展開した。また、デッサンやデカルコマニーなどの絵画作品も残している。

山中散生(やまなか・ちるう) (1905-1977)

 詩人。日本におけるシュルレアリスム運動の推進者。
 愛知県生まれ。名古屋高商在学中にフランス文学を学んだ。ポール・エリュアールやアンドレ・ブルトンらと文通を重ねるとともに、彼らの著作を翻訳し日本に紹介した。また、1937年(昭和12年)の「海外超現実主義作品展」では、瀧口修造とともに中心的役割を果たした。

 山中散生は、ハンス・ベルメールの最初の紹介者である。 (*Appendix 2)

生田耕作(いくた・こうさく) (1924-1994)

 仏文学者。京都大学名誉教授。
 京都府生まれ。京都大学仏文科在学中に、アンドレ・ブルトンの思想に啓示を受ける。以後、「異端の仏文学者」としてブルトン、バタイユ、マンディアルグ、セリーヌなどの著作を翻訳・紹介した。

 「眼球譚」、「マダム・エドワルダ」、「使用法」といったベルメールの版画シリーズは、もともとバタイユやマンディアルグの小説の挿画として制作されたものであり、生田耕作がこれらの版画作品を自らの翻訳書の挿画として採用したことは、ベルメール作品の鑑賞という観点からも非常に大きな意義があったと言える。

坂崎乙郎(さかざき・おつろう)  (1927-1985)

 美術史家。美術評論家。早稲田大学教授。
 幻想芸術、表現主義等を始めとする美術史を研究。エゴン・シーレを日本に本格的に紹介したことでも知られる。

澁澤龍彦(しぶさわ・たつひこ) (1928‐1987)

 仏文学者。評論家。小説家。
 東京都生まれ。本名は龍雄。東京大学仏文科在学中、シュルレアリスムの文献を経由してマルキ・ド・サドの存在を知る。その後、『マルキ・ド・サド選集』の翻訳や評論集『サド復活』などを刊行し、日本にサドを本格的に紹介した。この他、西洋の魔術・隠秘学、異端文学や芸術に関するエッセーを発表するとともに、独自の幻想小説を著した。

 1965年、ハンス・ベルメールを紹介した澁澤龍彦のエッセーが四谷シモンに衝撃を与えた。この「事件」が、日本の関節人形の歴史の原点である。その後も、澁澤龍彦は多くのエッセーでベルメールに言及した。澁澤こそ、ベルメールの紹介者の中で最も大きな影響を及ぼした人物と言える。

種村季弘(たねむら・すえひろ) (1933‐2004)

 独文学者。
 東京都生まれ。東京大学独文科卒。マゾッホ、ホフマンなどの翻訳、西洋の錬金術・魔術・隠秘学などの紹介、広範な知識に裏打ちされた文学・芸術評論等、多彩な活動で知られる。


※上掲の書籍は、特定の基準に基づいて選択したものではありません。ベルメールに関連した著作は、(6) 文献 <Bibliography>にまとめてあります。


2004年9月11日更新 (2002年4月13日公開)
ハンス・ベルメール:日本への紹介と影響

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